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【座談会1】 血液がんに対するゲノムからのアプローチ

本対談は2025年3月7日に発行された研究科広報誌「創成」45号の座談会「血液がんに対するゲノムからのアプローチ」全文です。

座談会参加教員:

メディカル情報生命専攻 
 合山 進 教授 GOYAMA Susumu

メディカル情報生命専攻
 山岸 誠 准教授 YAMAGISHI Makoto

医科学研究所 兼担
 南谷 泰仁 教授 NANYA Yasuhito

合山 今日は、ゲノム解析を血液腫瘍の研究と臨床に利活用されている南谷先生と、成人T細胞の白血病治療にゲノム解析を応用し成果を上げていらっしゃる山岸先生とともに、血液がんに対するゲノムからのアプローチというテーマでお話していきたいと思います。
 私が研究に取組み始めた20年ほど前にはまだ、ゲノム解析はがん研究のほんの一分野という感じで、ここまでがん研究の景色を変えるとは想像もできませんでした。
 南谷先生は次世代シークエンサーが登場する前からゲノム解析を始められていたと思いますが、振り返ってどのように感じていらっしゃいますか。

南谷 私が研究を始めた頃はまだゲル板で電気泳動をやっているところを見ていました。
私自身はゲル板を使ったことはなく、キャピラリーシークエンサーに移っていった頃です。当時、コピー数異常やアレル不均衡を見つけられる技術が広がり、コピー数異常やアレル不均衡が集積している部位にがん遺伝子が集積しているという報告が全世界からたくさん出てきました。私もSNPS(一塩基多型)の差異を使ったDNAコピー数変異解析のプログラムを作ったりしました。

合山  次世代シークエンサー(NGS)が登場する前ですね。

南谷 日本で最初に次世代シークエンサーが導入されたのが2000年代の終わり頃で、キャピラリーシークエンスとは明らかに異なる規模とスピードでのシークエンスができるようになりました。

合山 次世代シークエンスが普及してまだ10数年しか経っていませんが、本当にがん研究の世界を変えてしまったといえます。山岸先生は成人T細胞白血病の研究をどれくらい前から始めてらっしゃったのでしょうか。

山岸 私は2011年頃から成人T細胞白血病(ATL)について、ゲノムのコピー数異常の解析を小川誠司先生との共同研究で始めました。私たちはどちらかというと遺伝子の発現レベルの研究をしており、原因を遡っていくとゲノム配列を詳しく調べて個々のクローン(同じ遺伝的性質を持つ細胞集団)の解析をする必要が出てきました。ちょうどその頃、次世代シークエンサーが汎用されるようになってきたのです。
私たちはATLの原因ウイルス(HTLV-1)のゲノムを同時に読む必要があり、次世代シークエンサーが非常に役立ちました。そこで、ウィルスの検出と感染細胞や腫瘍細胞の特徴をゲノムレベルで見るということを研究の柱としました。

合山 早い段階からそういう解析を取り入れていたのですね。

山岸 鈴木穣先生とのコラボレーションでゲノム解析とシングルセル解析の組み合わせを行っていました。国内におけるATL分野ではかなり早かったと思います。

合山 今は誰もがそのパワーを知っているけれど、当時はまだ分からないところがあった段階で、ゲノム研究に力を入れたのはどういう理由からだったのでしょうか。

山岸 以前は実験用の細胞株やモデルを使う研究が主でしたが、患者さんのサンプルや感染者の方の検体を解析するにはできるだけ解像度が高い技術が必要になり、ゲノム解析の技術革新とちょうど同じタイミングだったのです。

合山 ゲノム解析はこの10年くらいでものすごく進み、今までよく分からなかったゲノム情報が可視化されてきました。
もう一つ大きな革新がCRISPR-Cas9(※1)の登場により、ゲノムを自由自在に書き換えられるようになったことです。当時、私はノックアウトマウスを作る研究をやっており、1年かけてやっとノックアウトに成功していたものが、CRIAPR-Cas9を使うとあっという間にノックアウトできて本当に驚いたのを覚えています。
 いずれにしろ、ここ10年ぐらいでゲノム解析の情報は飛躍的に増大しました。血液がんの分野では臨床にも使われつつある感じでしょうか。

 

※1 CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン):ガイドRNAである(CRISPR)とヌクレアーゼ(核酸の加水分解酵素)であるCas9から構成され、圧倒的な簡便さと低コストを特徴とする遺伝子改変ツール。

 

南谷 血液がんは、保険適用の遺伝子パネル検査では固形がんより5年遅れています。理由としては、固形がんと血液がんではパネル検査の目的も方法も異なるということがあります。固形がんはある程度、ターゲット分子が共通しており、バスケットトライアル(※2)のように、がん種を問わず遺伝子異常を臨床に活用したり、標的薬の候補探しに活用したりすることが進みやすかったといえます。一方、血液がんは標的とする遺伝子そのものが違い、遺伝子検査の設計も違ってきます。
 ただ、医科学研究所(医科研)は幸い私が赴任する前から遺伝情報を臨床に応用していました。私もその流れを引き継いでクリニカルシークエンスをいつもやっています。医科研が特徴的なのは、最初からエクソームや全ゲノムを使っていることです。ターゲットでは分からなかった異常を患者さんの中から見つけることができ、それが新たな研究に繋がっています。

※2 バスケットトライアル:がんの部位にこだわらず、遺伝子の変異をバイオマーカーとして定め、その遺伝子変異を標的とする抗がん剤治療を行い、効果を検証する臨床試験。

合山 血液がんは基本的にはゲノム解析のトップランナーだったのにどうして臨床応用が遅れたのでしょうか。

南谷 固形がんに比べ、血液がんでは固形がんにおけるEGFRのような明確な標的が少ないということはありますね。
また、ターゲットになる標的遺伝子が血液がんと固形がんではかなり違っており、血液がん独自の臨床スタディを組むには症例数の面で不利ということがありました。

合山 それを乗り越え、いよいよ血液がんでも保険適用による「がん遺伝子パネル検査」が2025年から導入される見込みです。これでだいぶ変わってきそうですか。

南谷 対象となる疾患やステージは現時点では決まっていませんが、恩恵を受ける患者さんの裾野が広がることは間違いありません。
 ただ、血液がんでは初発時と再発時で異なる標的遺伝子が出てくることがよくあるため複数回行うことが重要なのですが、おそらく血液がんだけ複数回行うということは認められないでしょう。そういった点に関しては研究で行うシークエンスによってエビデンスを蓄積していく余地があります。ゲノム解析には、患者さんの治療にもっと役に立つパワーがあることを、基礎研究を通じて示していかなければいけないと考えています。

合山 山岸先生が研究されている成人T細胞白血病(ATL)では、どのようにゲノム解析を活用しているのか教えてください。

山岸 ATLはウイルス(HTLV-1)に感染した宿主側のT細胞に、50~60年という長い時間をかけてゲノム異常が蓄積していき、非常に予後の悪いT細胞リンパ腫を発症する病気です。そのため、ウイルスを知ると同時に宿主側にどのようなイベントが起こっているのかを知ることがとても大事です。
 しかし、患者さんのゲノムを解析すると、ATLとしてひと括りにはできない多様性が見られます。そこで、患者さんをいろいろなタイミングでゲノム解析させていただいて、「こういうゲノム変異がある人はこれからこういう予後に向かうだろう」、「移植適応になるのか、それとも化学療法で攻めていくべきなのか」といった、治療やその先を予測するためにゲノム解析が利用できます。
 パネルシークエンスが実施されるようになると、より多くのビッグデータが集まるので、次のフェーズとしてはゲノム情報をどう実臨床に実装するかがポイントになると予想しています。

合山 ATLは不思議ながん疾患です。母親の母乳などからウイルス感染し、50年くらいかけて何が変わるのでしょうか。

山岸 感染細胞が多様性を持つポリクローナルな感染細胞集団(クローン)となり、複数のクローンにゲノム異常が蓄積して、一部の感染者がATLを発症します。
 ただ、発症した患者さんのクローンには不均一性があります。クローンの構成を見極め、治療に応用したり予後を予測したりしていくことが必要で、そのためにはゲノム解析をどれだけの深度(特定領域の解析回数)で行うかが大事です。

合山 基本的にウイルスのゲノムが宿主側の細胞に悪さをしているのでしょうか。

山岸 原因ウイルスのゲノムがコードしているウイルスタンパク質がまず感染細胞を不死化させるのですが、それだけでATLを発症するわけではなく、さらに5段階、6段階にわたってゲノム異常やエピゲノム異常が積み重なり、最後に発症します。
 このようにがん化に至るステップの最初のヒットが分かっているという意味では、他のがんとは違う特殊なパターンといえます。そのためATLの研究は、がん化のプロセスを考えるモデルとして他のがん研究でも使われたりしています。

合山 南谷先生が取り組まれている「クローン性造血」(※4)の概念にも似ていますか。

※4 クローン性造血:造血細胞が遺伝子変異により増殖優位性を獲得し、それに由来する血液細胞がクローン性に増殖している状態のこと。血液学的な異常は認められないが、造血器腫瘍の発症リスクは10倍に上昇する。心筋梗塞などの冠動脈疾患の発症頻度も上昇することから、造血系以外の多臓器に影響が及ぶ病態として注目されている。参考

南谷 そうですね。クローン性造血から発症するのは一部の細胞であって、全ては発症しません。その違いにフォーカスするため、今後はバルクでのシークエンスから徐々にシングルセルのシークエンスやエビゲノム解析に移行しつつあると感じています。

合山 クローン性造血もファーストヒットとなる変異が造血細胞に入っただけでは何も起きません。そこにいろいろ変異が加わり、あるところを超えるとクローンとして増えてくるという感じでよいでしょうか。

南谷 今、いろいろなことがわかってきています。遺伝子によって、例えば加齢環境で増殖率が多い変異とそうでない変異があります。また、抗がん剤や放射線のような刺激に対しサバイバルアドバンテージを持つ遺伝子変異とそうではない変異があります。私たちが普段ひいている風邪も含め、感染症によってクローンが拡大していく可能性もあります。
 そうしたセカンドヒットやサードヒットがドライバー遺伝子に加わると悪性化しやすくなったり、サバイバルアドバンテージが加速してクローン増殖につながるのだろうと推測しています。

合山 ウイルスがファーストヒットになるのが成人T細胞白血病で、それ以外にもいろいろなファーストヒットがあり、それらのクローンがゆっくり増えていって最後に白血病として発症する。そこまでに何十年もかかるということが、ゲノム解析で明らかになったということですね。
 私たちの研究でも、ASXL1というクローン性造血の原因となる遺伝子の変異を持つノックインマウスを使って解析すると、最初はほとんど異常がないのに、長く飼育していると悪性クローンが増えてくるという結果でした。また、興味深いのは、高脂肪食を与えたマウスでは悪性クローンの増え方が早いということです。食べ過ぎやストレスが悪性クローンを増やすのだろうと思われます。
ところで、クローン性造血に対して臨床においてどこまで予防的に介入するかは難しい問題ではないでしょうか。どの時点でどの程度介入すればいいのかは、今大きなテーマになっています。

南谷 例えば、プラチナ系の抗がん剤を投与すると増えやすいクローン性造血原因遺伝子が分かっているので、乳がんの患者さんでクローン性造血の状況を見て抗がん剤の組み合わせを変えるということはありうると思います。
 ほかにも、TET2遺伝子(※5)の異常がある場合、ビタミンCが有効であるという報告があります。これなどは比較的介入しやすい方法かも知れません。臨床試験も行われていたと思います。
 あるいは、JAK2遺伝子(※6)の異常が存在すると、血液がん発症のオッズ比が他の変異を持つクローン性造血に比べて、圧倒的に高くなります。しかもJAK2阻害薬がありますから、リスクが高い人に対してJAK阻害剤を使うといった介入もありうるかも知れません。

※5 TET2遺伝子:DNAの脱メチル化反応に関与する酵素(TET2)をコードする遺伝子。その異常は染色体異常や遺伝子変異に起因する白血病関連のがんタンパクと連携して白血病の発症を促進するとされる。

※6 JAK2遺伝子:JAK2チロシンキナーゼ(JAK2)をコードする遺伝子。JAK2は細胞内シグナル伝達に中心的役割を担う重要な分子で、その異常は骨髄増殖性腫瘍を引き起こす。JAK2阻害薬が開発されており、腫瘍の縮小や全身症状の改善、生存期間の延長などが認められている。参考

合山 ただ、阻害剤にも副作用があり、要はバランスということでしょう。

南谷 ビタミンCならさほど問題ありませんが、ビタミンCで本当にTET2変異を持つクローン性造血の悪化をを防げるのか、臨床試験で見ていかないといけません。JAK2阻害剤に関してもリスクが高い人において長い期間見ていかないといけませんが、その分、臨床試験の難易度が上がります。

合山 成人T細胞白血病はどんな感じなのでしょうか。

山岸 ウイルスに感染しているかどうかを妊婦健診や献血でスクリーニングし、HTLV-1抗体が陽性であればキャリアであることが通知されますが、その段階では多くの場合、血液中のウイルス量は1%未満と少ない状態です。
 そこから定期的にキャリア外来を受診してもらっていると、一部でウイルスに感染した細胞が徐々に増えていくことがあります。そういう方はこれまでの統計解析でATLを発症するリスクが高いと言われており、できるだけこまめに受診していただき、早めに治療を開始できないか議論されています。
さらにそこにがん遺伝子パネル検査などを使って、ウイルス量に遺伝子の異常を組み合わせると、より精度の高い予測ができるのではないかと思います。

合山 Watch and Waitということで、治療的な介入は今のところはあまり考えられていないのでしょうか。

山岸 そういう議論にまでは到達していません。ウイルスに感染していても基本的に健康なので、そういう方に対して治療介入するのは、ビタミンCのように副作用が極めて少ない形でないと難しいです。

合山 B型肝炎やC型肝炎のようにウイルスを直接たたくことはできないのでしょうか。

山岸 それが可能なら嬉しいのですが、HTLV-1はレトロウイルスなのでウイルスゲノムが宿主ゲノムへ挿入されており、全身にある感染細胞を除去することは難しいです。一部の感染細胞を減らしたとしても何年か経つとまた増えてしまう恐れがあります。それがどれだけ発症を遅らせるのか、臨床的な意味があるのかは、息の長い臨床試験を経て検証していく必要があります。
 基礎研究レベルでは合山先生がおっしゃったCRISPR-Cas9などを使ってウイルスゲノムそのものをむしろ制御することで発症リスクを抑えるということも少しずつ議論されています。特に発がん性の高いウイルスタンパク質があるので、それを除去することで発症リスクが抑えられるのではないか、HIVの研究と同じような議論がされています。ただ、実用化はまだまだ先のことです。

合山 ゲノム解析で悪性細胞がゆっくり増えることが明らかになったとして、ではどうするのかというのは非常に難しいですね。
 ビタミンCのように昔から体にいいとか、がんになりにくいと言われている食べ物はいろいろあります。これらは迷信かもしれないですが、何かしらの真実もあるのではないでしょうか。そういうことを基礎研究などで明らかにできればと思います。
 いずれにしろ、基礎研究には既に大きな貢献をしているゲノム解析技術ですが、今後患者さん個人のゲノム情報を活用して、臨床の治療効果をより高めていけるのかどうか。その点はいかがでしょうか。

南谷 個々の患者さんについてパネル検査などを行っても、標的としてある程度意義がわかっている遺伝子変異しか分かりません。
一方、医科研ではエクソームや全ゲノム解析を行うところが特徴であり、そこからまだ知られていなくても標的になる可能性のある融合遺伝子が見つかったりします。
私たちは研究室を持っていますので、そうして見つかった融合遺伝子を細胞に導入し、シグナルとなるリン酸化が増えたり、ある薬剤でブロックできたり、といった証拠を得ることができます。また、あるリンパ腫の一亜系で特徴的な構造異常があるケースを見つけ、マウス実験でその異常の病的意義を検証することも行っています
このように臨床と研究の両方から新たな異常を見つけ、それを新たな医療に発展させていくことが私たちの教室の使命だと考えています。
ただし、それがすぐ患者さんの治療に結びつくわけではなく、そこについては治験など別の難しさがあります。

合山 ゲノム情報がこれだけ使えるようになり、個々のがんの原因となるゲノム異常もわかってきたので、今後はがんのゲノム異常に基づく「個別化医療」、「パーソナライズド・メディスン」が発展していくと考えられます。だだ、そういう方向に行くとすると、今まで医学界の常識であったランダム化された大規模臨床試験は難しくなりますね。ランダム化を行うには症例数をある程度集めなければいけないけれど、個々の患者さんでゲノム異常が違い、最適な治療も違うとなると、大規模臨床試験を行ってみんなに良い薬を選ぶというアプローチがそぐわなくなっているようにも感じます。

南谷 そこは難しい問題ですが、個別化医療として最初に取り入れられてくるのは、NUDT15(※7)のような薬剤代謝性のゲノム異常が関わる副作用のケースでしょう。

※7 NUDT15:自己免疫性肝炎に対してアザチオプリンが使用されるが、アザチオプリンの副作用として重度の白血球減少症や脱毛が起こることがある。Nudix hydrolase 15(NUDT15)はアザチオプリンなどチオプリン製剤の代謝に関わる酵素の一つ。NUDT15遺伝子の異常がある場合、アザチオプリンの投与後、早期に重篤な副作用(重度の白血球減少症や全身脱毛症など)を生じるリスクが高い。参考

合山 かつて臨床をやっていたとき、同じ薬を使ってもすごく効く人とあまり効かない人、副作用が激しい人とそうでもない人がいました。正直やってみないとわかりませんでしたが、ゲノム情報をもとに一定程度予測できる時代になったのですね。

南谷 薬が効く、効かないということに関しては、分子標的薬のバイオマーカーが並行して探され、特定の薬剤がフィットする患者さんの選別(患者層別化)が行われています。ただ、AML(急性骨髄性白血病)のFLT3に関するFLT3阻害剤のように、特定の遺伝子変異に対して開発された薬剤は別ですが、実際には「標準療法」(※8)を大きく変えるほどにはなっていません。
そこで私たちは今、先ほども少し触れたように患者さんのプライマリーな細胞を用いた薬剤効果スクリーニングを行う系を高橋聡先生と開発しています。
同じがん腫瘍であっても薬による感受性が異なり、さらに造血幹細胞に近い分画で行うと、バルクの細胞で行う場合とは異なる結果が出てきます。そういったもののほうが重要である証拠を取りに行こうとしています。

※8 標準治療:科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者さんに行われることが推奨される治療。

合山 患者さんのプライマリーな細胞、特に幹細胞が増えるような条件で培養するということでしょうか。

南谷 そうです。研究のため山崎聡先生などと患者さんのプライマリーな細胞を増やす系も作っています。AMLの細胞では、これもタイプによりますが、幹細胞分画をOP9(骨髄間質細胞)を使う系と同じぐらい、もしくは凌駕する効率で増やすことができる系ができつつあります。

合山 なるほど。現時点では「このゲノム異常があるからこうなる」という予測が難しいため、直接的に薬の効果を判定するわけですね。

南谷 一部のゲノム異常とカップルしている感受性は当然見つかりますが、現在、私たちが主に感受性を検証している薬は研究段階で用いられているエピゲノム・モディファイヤ―です。ゲノム異常と直接的なカップリングが難しいケースについても、薬剤の感受性と結びつけることができるのではないかと思って研究を続けています。

合山 それは素晴らしい研究ですね。ゲノム情報を基にしたがん治療に加えて、がんのエピゲノム(※9)情報も相当溜まってきています。今後は1次配列情報としてのゲノム配列だけでなく、クロマチンがどのような構造しているかといったエピゲノムが重要な解析対象になると思います。
山岸先生は、エピゲノムを標的としたATL治療についてはどのようにお考えですか。

※9 エピゲノム:DNAのメチル化やヒストンの修飾(メチル化、アセチル化、リン酸化等)といった遺伝子発現の制御につながる仕組み。DNAの塩基配列の変化を伴わず、細胞分裂後も継承される。

山岸 DNAの一次配列だけでなく、それが立体的にどのような構造をしているのか、どの遺伝子がどのようなタイミングで使われているのか、という暗号がエピゲノムにコードされています。
 私たちが研究対象としているATLなどの悪性リンパ腫は、正常細胞とは全く違うエピゲノムになっていて、その原因をいろいろ調べていくと、DNAのメチル化やヒストンの修飾が作用していることが明らかになりつつあります。
 特に重要なのは、DNAの一次配列とは違い、エピゲノムは非常に可逆的な性質を持っている点です。異常の原因となる酵素を見極めることができれば正常な状態に戻せるというコンセプトが成立し、ゲノム医療において患者さんに直接役立つアプローチになると期待されています。

合山 確かに、患者層別化などにはゲノム異常は役立ちますが、ゲノム異常を元に戻すのは容易ではありません。ゲノム変異が入ると活性化するタイプのがんに対しては活性化を阻害する薬を開発するのが大きなゴールになっていて、実際にFLT3阻害剤やJAK阻害剤が効果を上げています。
 一方、ゲノムに変異が入ることで正常な機能が失われてがん化に寄与する腫瘍抑制遺伝子に対する標的薬を作るのは難しいです。エピゲノムの異常をターゲットにする方が、現時点では治療としてはやりやすいですね。

山岸 一部の悪性リンパ腫は、酵素の変異によってヒストンに修飾異常が入るので、酵素の変異を抑えれば治療効果があります。それに対し、ATLはウイルス感染そのものがEZH2(※10)やポリコーム複合体に影響することによって、感染初期からエピゲノム状態を変えてしまうことが起こっています。
 とはいえ、初期から完全にがん細胞になっているわけではなく、おそらく時間経過とともに異常の度合いと程度が広がっていき、どこかのセットポイントで一気に増えてがん細胞になってしまうようです。そのとき、ゲノム異常だけでなく、エピゲノムのパターンがガラリと変わるのです。それを元に戻すのが治療コンセプトになります。
 ただ、長く治療していくと、薬が結合できなくなるような変異を持ったクローンが出現して耐性化することがあります。耐性クローンをいかに早く見いだし治療方法をアップデートしていくかも重要です。
 その点でゲノムをしっかり読み込み、がん細胞がゲノムレベルでどういう配列を持っているのか調べることは、エピゲノムの治療をしていく上でも大事だと、最近また思うようになりました。

※10 EZH2:エピゲノムに関連するタンパク質群のうち、ヒストンメチル基転移酵素の一つであり、発がんプロセスに関与する。

合山 エピゲノム治療薬で治療し、いったん効いてもいずれまた悪くなる患者さんがいるということですか。

山岸 2~3年経って、薬が効かなくなるゲノム変異を獲得したクローンが出てくるのです。おそらく、薬が標的とする分子に対する選択圧ががん細胞を進化させる環境を作るのだと思います。

合山 薬剤耐性は、血液がんの治療において昔から大きな問題です。何か新しいアプローチはあるでしょうか。

南谷 薬の耐性については、初発時と再発時のゲノムの比較が重要です。再発した患者さんの半分は新たなゲノム変異を獲得していきますが、残りの半分はゲノム変異は同じなのに薬が効かなくなってしまうパターンです。後者に関しては、同じクローンなのでエピゲノムの異常がどう違うのかが非常に重要です。

合山 今後はゲノムの一次配列だけではなくて、エピゲノムまで評価するのが望ましいのは確かですね。
 ただ、エピゲノムは対象範囲が非常に広く、また可逆的で変化するものであるため、どう解析していくかが大きな課題だと感じています。

>南谷 そこは非常に難しいところです。ある程度、数をこなして最大公約数を取っていくというアプローチが必要だろうと思います。

山岸 私たちは、同じ患者さんを定期的に解析することで異常を動的に捉え、遺伝子発現とその原因となるエピゲノムを理解するというアプローチをとっています。
 また、最近は一つ一つの細胞をバラバラにして遺伝子発現やクロマチン構造を解析するシングルセル解析という方法が開発されています。このような新しい技術を使うことで、多様な細胞集団の中に共通するエピゲノムの特徴や、薬剤耐性になったときに変化したエピゲノムを集団の中で見分けることができます。革新的な技術をうまく使うことが一つのソリューションだと思います。

>合山 これまで無理だろうと思っていたことが、解析技術の進歩で丸ごとわかったりします。今後はシングルセルがキーワードになるかもしれません。そういう解析で、これまで見えなかったことが綺麗に見える時代が来る可能性は十分にありますね。
 最後に、先生がたの今後の研究の方向性についてお聞かせください。

南谷 私たちは日々患者さんを見ているので、患者さんのゲノムデータと患者さんの治療状況をすぐ照らし合わせることができます。
 研究においては発見したゲノム異常の意義を探索することを基本としつつ、患者さんからいただいたプライマリーの腫瘍細胞をそのまま増幅していろいろな実験に用いるスタンスでやっていければと思っています。
 課題は、私たちだけですべてをこなせないことです。他の研究者や組織との協力関係、例えばATLについては山岸先生とのコラボレーションをより高めていかないといけないなと感じています。

山岸 私は生物学とゲノム医科学を研究している立場として、なぜがんが発症するのか、がんの原因となるウイルスはどこからやってきたのか、といった基礎的な研究を専門としています。
 そういう研究を臨床の先生方とコラボレーションすることによって、目の前の患者さんの体内で起こっていることを理解することに繋がりますし、それが実際の治療や患者層別化といった医療の現場で必要な情報にトランスレートしていくことができる点に遣り甲斐を感じています。特に、南谷先生をはじめ医科研の先生方とコラボレーションできるのが新領域メディカル情報生命専攻の強みです。
 さらに、製薬企業との関係についても、学会等での研究成果に声をかけていただいたり、お互い情報交換をしたりする中で、新しい薬の開発や臨床試験につながっていくことがあります。
>臨床や創薬とのつながりからアウトプットを生み出すことも基礎研究の重要な役割だと考えています。

南谷 山岸先生の研究室の成果から生まれた日本発の新しいエピゲノム治療薬(※11)がいま臨床の場でよく使われており、産学連携の大きな成果といえます。

※11 日本発の新しいエピゲノム治療薬:多くのがんで見られるエピゲノム異常を誘導する酵素(EZH1とEZH2)の働きを阻害する化合物を山岸准教授などのグループと第一三共が共同で開発した「バレメトスタット」。有効な治療法が確立されていない成人T細胞白血病リンパ腫(ATL)や悪性リンパ腫の遺伝子におけるがん細胞を特異的に死滅させる。

合山 私は元々血液内科医でしたが、いまは基礎研究に絞って造血器腫瘍に対する新たな治療法の開発に取り組んでいます。この間、ゲノム解析技術の進歩、CRISPRをはじめとするゲノム編集技術の進歩があり、がん治療の標的となりうる候補分子はすごく増えてきました。とはいえ、山岸先生のバレメトスタットなどの少数の成功例を除くと、原因がわかってもそれに対応する薬をつくるのが難しく、そこまで治療は大きくは変わっていません。
将来的な目標としては、ゲノムやRNAは核酸配列という一種のデジタル情報なので、それを直接標的とするような核酸医薬を開発できれば、基礎研究の成果をそのままダイレクトに臨床に繋げることができます。大きな目標としてはそういうものの開発に携わったりしたいですね。

今日はありがとうございました。

取材編集:古井一匡 撮影:北原優

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